2014.12.27
楽園追放 -Expelled from Paradise-の話。
面白かったです。
以下、ネタバレ。
ナノハザードにより廃墟と化した地球。人類の98%は地上と自らの肉体を捨て、データとなって電脳世界「ディーヴァ」で暮らすようになっていた。
西暦2400年現在、その「ディーヴァ」が異変に晒されていた。「フロンティアセッター」と名乗る謎の存在による「ディーヴァ」へのハッキングを地上世界から受け、捜査官アンジェラは生身の身体・マテリアルボディを身にまとい地上世界へと降り立つ。
現地の地上捜査員ディンゴと共に、謎のハッカー「フロンティアセッター」と世界の謎に迫る。
(Wikipediaより抜粋)
要するに、肉体を捨て去った新人類であるアンジェラと、物質文明に居座る旧人類のディンゴ、自我を獲得したA.I・無から産まれた生命であるフロンティアセッターの話。
・ディーヴァとアンジェラ
まず興味深かったのは、アンジェラ・バルザックという名前。直訳で「暴虐の天使」かな。「高次存在として地球に残った現地人を『下等』と見下し、傍若無人に振舞う」ディーヴァから送り込まれた「天使」だと最初は思ったけど、後半では「システムを破壊する天使」といった印象。
旧約聖書において天使というのは結構怖い存在で、裁きの開始を知らせるトランペッターだったりがそういった感じ。
で、ここで思い出すのはディーヴァ保安局高官の姿。それぞれがガネーシャ、ゼウス、金剛力士像の姿をとっていて、ここにキリスト教(イスラムも)を象徴する神が存在しない。「天使」というのはキリスト教由来の存在なので、そういう対比も含んでいるのかなと思った。
もっともキリスト教が介在しないというのは、プロテスタントの教義的な意味で、電脳パーソナリティの「肉体を捨て去る」というのは冒涜行為に値するという理由でのキリスト教圏不参画という背景とも読める。
ところで、どうしてガネーシャ、ゼウス、金剛力士像なのかな…特にガネーシャと金剛力士はヒンドゥー・仏教(神仏習合)の最高神でもなんでもないな、と思ったので調べてみたところ、ガネーシャは「あらゆる障害を排除する神」ということがわかった。金剛力士(阿形)は「阿(阿吽の阿です)」が「すべてのはじまりの音」を意味しているそう。ちなみにゼウスは多妻多子の神なので「子孫繁栄」の象徴なのかなと思ったり。そう考えると、「物質世界を捨てたことであらゆる障害から解き放たれ・一層繁栄していく・はじまりの・人類」という理念を反映させたのが3体のディーヴァ保安局高官の姿なのかな。
・ディンゴとイオニアン
劇中、アンジェラが歌を理解できなかった理由というのが、もちろん「メモリを追加することによって快楽はとことんまで追求できる」電脳パーソナリティたちが今さら歌程度で多幸感を得ることが出来ないというのもそうだけど、歌というのは「人類の原始的な娯楽のひとつ」だからだと思う。
これに対するディンゴの「ロックは骨で感じる」という表現が、マテリアルボディこそあれ、本来の肉体を持たないアンジェラと自身の骨身で生きているディンゴの対比であり、これが「原始」とは対極の電脳パーソナリティの文化的価値観なんだなあと感じた。
このディンゴとアンジェラの対比はイオニアンのほかにもあって、例えば味覚(無味の合成食糧とサンドワームの肉)だったり、病気の治療方法(ディーヴァによる体調管理システムと民間療法)なんかがそれ。
・フロンティアセッター
で、ここにA.Iであるフロンティアセッターがイオニアン=歌を理解するというのがキーなんだなと思った。進化したA.Iのフロンティアセッターは定義的には命ではないわけで、現実の私たちにとっては「プログラムは娯楽を理解できない」というのを感じている。しかし、劇中では命と心を持つはずのディーヴァはイオニアンを「人類史に残す価値のないサブカルチャー」として捨て去り、人工知能のフロンティアセッターは自分でアレンジまで作りディンゴとセッションまでしている。
こういったところに製作陣の伝えたい「生命倫理」が見え隠れしていて非常に興味をそそられる話だった。
・感想
結論を言えば、ストレートな「魂」のおはなしだと思った。近未来SFが舞台の正統派エンターテインメント。凡そ2時間というサイズのオリジナルアニメがここまで濃厚とは思わなかったです。
あと戦闘シーンがすごい。スタッフロールで監修に板野一郎と見えたときは「ははあーん!」という感じだった。もっとも宇宙での戦闘は板野サーカスというより村木サーカスっぽい感じで、板野サーカスが大暴れするのは地上での戦闘シーン。
あとやっぱりメインが市街地のロボット戦ということで、大味ながら微妙な小ネタが利いているのがとても良かった。例えばアンジェラが搭乗している新型アーハンが、コンテナから武器を回収するシーンだったり、ディンゴがアーハン相手にゲリラ戦を繰り広げるシーンだったり。このあたりは往年のロボットアニメの集大成という感じでめちゃくちゃ滾ります。
宇宙にしても、アンジェラが対ミサイルレールガンを撃つときのカーソルが、奥から手前にかけてズラッと並んでいて、砲身を動かすにつれて奥は大きく手前は小さく動くというのが男の子の心をくすぐる演出で最高。
白兵戦も砲撃戦もロボットアニメ好きにはたまらなくて思わず拳を握ってしまいます。
あとやっぱりネタがネタなので、攻殻機動隊 stand alone complexと重なるところが多かったと思う。おそらくスタッフも意識していたんだろうと思ったのが、エンドロール後にフロンティアセッターがイオニアンを口ずさんで旅立つところ。あそこはs.a.c 2nd gigのタチコマの最期のパロディなのかな。A.Iと歌っていうのは人工知能を扱うSFにおいて重要な接点なのかも。
という感じで個人的には何度も見たいと思う作品でした。バルト9でカメラの前で「楽園追放、最高ー!」って言いたい。
余談だけど、本編の前に流れていた新作紹介が「エクソダス」というバビロン捕囚の映画で「楽園追放」と掛かっているのかなとか思ったりしました。
以上。